「淡路へ行きたい」
そんなご依頼からの始まりでした。
お客様は、80歳を超えるお歳の男性。神戸市内の老人ホームにお住まいの方です。普段は車椅子をご使用で、支えがあれば数メートルは歩くことができます。
昔お客様は、淡路に住む叔父様からとても可愛がってもらったそうです。そんな良い思い出のたくさんある地へぜひ帰りたいとのご要望でした。
しかしながら、お客様は、淡路を離れて久しいご様子。ご記憶もだいぶ少なくなっているようでした。
まずお客様から入念なヒアリング。
お客様から得られた情報は、淡路島のとある集落の名前と、叔父様の氏名だけ。
その集落は、漁業の盛んな数百戸の規模の漁師町。お客様がそこに住んでいた期間についてはご記憶が不明瞭でした。
少ない情報を頼りに、事前の現地調査に出かけました。
お客様の足跡を探して、集落の一戸一戸を尋ね歩く。すると確かに、叔父様のお名前は、現地の方々もご存知でした。
ところが、あいにくその叔父様は30~40年前に脳溢血で亡くなったとのこと。叔父様の住んでいた家屋も、他人の手に渡っていました。親戚もいません。
お客様のお名前も、現地の方々は誰もご存知ありませんでした。
しかし、入念な調査の結果、叔父様のお墓ではなかったけれど、お客様と同じ姓の墓標が見つかりました。
いざ当日。介護タクシーでの日帰り旅行です。
明石大橋を渡って淡路島へ。
事前にバリアフリー調査は済ませています。あいにくの小雨が降る中でしたが、昔お客様が歩いたであろう地区の道を、車椅子でご一緒に。
「だいぶ変わってしまったねぇ」とおっしゃるお客様。阪神淡路大震災の際、古い建物の多くが倒壊または半壊してしまい、建て替えられたそうです。町並みに昔の面影はあまり残っていません。
お客様と同じ苗字のお墓にお墓参りしました。
遠いご親戚かもしれませんし、ご先祖様かもしれません。お墓の前で手を合わせた時、お客様は涙ぐんでいるように見えました。
次に、地区の小学校へ。
校舎は建て替えられ、場所も移転して、やはり昔の面影はありません。けれど、校門の門柱には「昭和二年」の文字。校門は昔の場所からそのまま移転してきたのでしょう。
もしかしたら、お客様は、昔この門柱の脇を通り抜けて登校されていたのかもしれません。
小学校の校長先生と教頭先生が、お客様と私たちに会ってくださいました。その校区の歴史などのお話を拝聴しました。
今回の旅は、過去のいい思い出に触れる旅でした。
しかし、優しかった叔父様はもういません。お客様を知っている人もいませんし、町に面影も残っていない。いい思い出に触れながらも、現在の実情をまざまざと知る旅となりました。
ただ、このお客様も、過去に生きるのではなく、今を生き、これからを生きる方です。先へ進むためには、過去に区切りを付けることも必要だったかもしれないと感じました。
今回の旅が、「明日につながる旅」になってほしいなぁ。
エスコート看護師:大橋日出男 拝
今回の旅にあたり、調査にご協力いただいた地区長さんはじめ、地区住民の方々、小学校の校長先生、教頭先生、皆々様に深く感謝いたします。